【その①】
・はじめに
・限定解除とは
・限定解除とは
・試験車両
・試験コースの概観
【その②】
・大型二輪の試験コースの詳細 (1986年の平針)
❶外周と急制動 ❷スラローム ❸外周および8の字 ❹波状路 ❺一本橋
❻クランク ❼たこつぼコース ❽鋭角ターンと坂道発進 ❾帰還
・合格のポイント
【その③】
・当時の練習にまつわる話
・練習場について
【その④】
・技能審査の受検体験記
・練習時間
・当時の受検状況について
・統計データ (1982年)
・限定解除審査を受けた感想
・運転免許試験場と教習所
・当時の免許証
限定解除アーカイブ
(全4話)
【その①】
はじめに
当サイトへようこそ。
当方、1986年に自動二輪免許の中型限定を解除しました。もう30年も前の話になってしまいますが、当時の自動二輪限定解除がどんなふうだったか、頭の中の記憶に残っているものを記録に残しておきたいと思ったのでこれを書きました。
あくまでも愛知県の平針運転免許試験場での話です。
あくまでも1986年の話が中心です。
限定解除はなかなか大変でしたね。俗に ”一発試験“ と言われるやつです。
当時はかなり難しかったですが、だからと言って、当時の免許取得者は技量があるとか、今の教習所は大したことがないなどど申すつもりは毛頭ありません。ただ単に記録としてここに残したいだけです。
ですが、やはり難しかったことには違いないので、難しかった…という表現をあちこちで使用することはご容赦いただきたいと思います。
当時の状況について、閲覧者の方々のご参考になれば幸いです。
個人的なブログとはいえ、できるだけ客観的な書き方をしたいと思います。
【その①】から【その④】まで、全4編あります。
アーカイブなので、かなり細かく記載しています。項目ごとに見出しを付けていますので、必要のない箇所は適当に読み飛ばして下さい。
限定解除とは
現在の免許制度になる前は、バイクの免許には:
・原付免許:……………50cc以下の二輪車のみ運転が可能
・自動二輪免許:………全ての二輪車の運転が可能
…がありました。自動二輪免許があれば、排気量無制限、どんなバイクでも運転する資格が与えられていました(厳密には1972年から125cc限定もあったようでしたが、免許区分の詳しい歴史は Wikipedia 等をご参照ください)。
しかし、1975年以降、そうは問屋が卸しませんでした。二輪免許の取得が急に難しくなったのです。
1980年代当時は、400ccまで運転できる 「中型限定」 という 限定付き の自動二輪免許が幅を利かせていました。というのも、限定のない、排気量何ccでも運転できる二輪免許は自動車教習所では取得することができず、教習所では中型の限定付き免許までしか取らせてくれないシステムになっていたからです。
【現在の区分】(1996年~)
・原付免許: ………………………50cc以下の二輪車のみ
・普通自動二輪免許 小型限定:…125cc以下の二輪車
・普通自動二輪免許: ……………400cc以下の二輪車
・大型自動二輪免許: ……………全ての二輪車 AT限定免許もありますが、ここでは省略
【当時の区分】(1975~1996年)
・原付免許: ………………………50cc以下の二輪車のみ運転が可能
・自動二輪免許 小型限定:………125cc以下の二輪車の運転が可能
・自動二輪免許 中型限定:………400cc以下の二輪車の運転が可能
・自動二輪免許: …………………全ての二輪車の運転が可能(→教習所では取れなかった)
当時は、51cc以上は全て “自動二輪免許” という “同一の括りの免許” であり、それに “条件” が付く形式でした。
【注】今の、普通自動二輪免許と大型自動二輪免許は、別の括りの免許です。
多くの人たちは、教習所で中型限定が付いた自動二輪免許を取得していました。もちろん、これでは400ccまでしか乗れません。
この 中型限定を外し、何ccのバイクにも乗れるようにするのが 限定解除 というものです。限定解除審査は各都道府県の 運転免許試験場のみで可能 でした。繰り返しますが、教習所では取れませんでした。
この状態は、1996年まで続きました。
ちなみに、今でも、例えば、AT限定免許のAT限定を外すことを限定解除と呼びます。限定を外すものは、何であっても限定解除(あるいは条件解除)です。
しかし、当時、二輪の 「限定解除」 と言えば、運転免許試験場の難しい技能審査をパスしなければ取れない免許 を意味しており、ライダーにとっては希少価値のある花形免許だったのです。
なお、401cc以上のバイクは、当時も 「大型バイク」「大型二輪車」 でした。
それゆえなのか、当時も俗に 「大型二輪免許」 と言われたりしましたが、厳密には当時の免許は大型二輪免許ではなくて、『限定なしの 「自動二輪免許」』 というものです。
ちょっと細かい話ですが…。
【注】今の普通自動二輪免許保持者が大型自動二輪免許を取得することは、制度に照らし合わせると、限定解除とは言えませんね。ステップアップすることは同じですが、別の運転免許の併記ということになります。
【注】普通自動二輪免許小型限定の限定を外して400ccまで乗れるようにするのは、限定解除の一種と言えます。
日本国内では暴走族対策もあり、当時の運輸省の顔色を見て、750ccまでのバイクしか国内販売しないという二輪メーカーの自主規制があったため、「ナナハン免許」とも言われていました。
【注】もちろん、当時の免許でオーバーナナハン、逆輸入のリッターバイクの運転も可能でした。
【注】この規制は1989年頃に撤廃され、国内向け V-Max や GL1500 等のリッターバイクが登場。
現在の免許制度になった1996年よりも前にオーバーナナハンが解禁されていました。
当時の自動二輪限定解除審査の様子を思い出して、ここに記録として残しました。
ご閲覧下さい。
試験車両
【スズキGS750G】
スズキGS750G
空冷DOHC4気筒748cc(65.0×56.4mm)
68ps/8,500rpm 6.0kgm/6,500rpm
シャフトドライブ 乾燥重量249.1kg(重かった!)
(出典:カタログ写真)
1986年当時、平針運転免許試験場でナナハンの試験車両として使用されていた車両です。事前審査も同じGS750Gでした。乾燥重量249kgですから、ガソリンやオイル、装備品も含めた総重量はおそらく270kg前後と考えられます。280kg以上あったかもしれません。
なので、当時のナナハンとしては最重量だったのではないかと思います。
【スズキGS750G】
ウォーターバッファローの愛称で知られていた水冷2ストローク3気筒のスズキGT750も、都道府県によっては試験車両として使われていたようですが、こちらは調べてみたところ、車両重量が235kgと出ていました。
ということで、やっぱりGS750Gがナナハン最重量だったと思います。
今なら1300ccクラスのメガロ級ですね。
ちなみに、事前審査のバイクのタンク内には砂は入っていませんでした。都道府県によっては、事前審査を難しくするためタンクに砂を入れてバイクを重くしているという話があったのですが(例えば東京都の府中試験場:出典:二輪ジャーナリスト柏秀樹さんの証言)、さすがに平針ではそれはありませんでした。
愛知県の平針試験場の場合、事前審査も走行試験も同一の車両を使っていましたから、タンク内に砂を入れることはできませんね。もちろん、エンジンガード等は付いていました。
なお、当方が限定解除に合格した翌月の1986年11月から、それまでのGS750Gに加えてスズキGSX750E4も試験車両として採用されました。GSXが使われていた期間は比較的短かったようで、しばらくはGSとGSXが並行して使用されていました。
この少し後に、試験車両はホンダVFR750Fに変更され、GS750GはGSXと共に役目を終えて退きました。
GSX750E4は乾燥重量210kgでした。VFR750Fは乾燥重量199kg(車両重量221kg、カタログ値)でしたので、いずれもGS750Gよりは軽くなり、VFR750Fに至っては、なんと50kgもの減量です。
当方、試乗会等でVFR750Fに乗ったことがありますが、GS750Gよりも取り回しははるかに軽くて楽でしたね。
なお、試験車両用のVFR750Fはアップハンドルに改造されていました。
愛知県では使用されていませんでしたが、ナナハンの試験車両として全国でよく使われていたヤマハFZX750(初期型1986年~)も乾燥重量は203kgぐらいなものです。
【ホンダVFR750F】
【ヤマハFZX750】平針では使用されていませんでした
他の都道府県での話ですが、もっと以前から同時代まで使用されていたナナハン車両としてホンダCB750Kもありました。こちらはGS750Gよりも18kgぐらい軽かったはずです。
他の都道府県での話ですが、もっと以前から同時代まで使用されていたナナハン車両としてホンダCB750Kもありました。こちらはGS750Gよりも18kgぐらい軽かったはずです。
以上のことから、1986年代前半までの愛知県平針では、限定解除で超重量級の試験車両をわざわざ選んでいたんじゃないかと勘繰りたくなります。もちろん、どんな二輪車にも乗れる免許ですから、最も重たいバイクを乗りこなせなければならないよ…と言われれば、それも至極ごもっともな話ですが。
GS750Gのシート高はおそらく790~800mmぐらいで、しかもシートの幅がかなりあったこともあり、足付き性は悪かったです。160cm以下の人だとヘビー級の重量も相まって、停止時はかなり苦しかったと思います。
試験コースの概観
2015年現在の平針の二輪コース
(出典:グーグルマップ)
1986年当時の平針の二輪コース
(出典:当時試験場で購入したもの)
これら2つを見比べてみると、1986年当時のコースは今よりもかなり複雑だったことが一目瞭然です。
当時と同じなのは外周と中央の十字の道路ぐらいで、大改造です。
今では随分と風通しが良くなってしまったものです。事前審査で使っていた8の字コースもなくなっています。かつて試験場で技能審査を受けた人がこの新コースを見れば、ビフォーとアフターの違いにビックリして、拍子抜けしてしまうと思いますね(わたしも初めてこの変化を知った時はとても驚きました)。
事前審査ではバイクを押してこの8の字コース上を歩き、次に自分でバイクを左に倒して起こす、そしてセンタースタンドを掛ければ合格でした。右に倒して起こす…はありませんでした。
平針に関しては、事前審査で落ちている人はほとんど見かけませんでした。
ところで、今は事前審査で8の字コースの押し歩きなんてあるのかな?
ちなみに、以下は次ページ【その②】で詳しく述べますが、スラロームはコース写真左上辺りにある右カーブの途中にありました。つまり、カーブを曲がりながら、置いてある5つのパイロンをスラロームするのです。
スラロームって、普通は直線路に5つのパイロンが真っ直ぐに並べてあるものでしょう(現在はそうなっています)。カーブの途中にパイロンが置いてある試験場なんて、他に聞いたことがありません。
そして、信号交差点の向かって右下辺りに 『品』 という漢字に似たコースが見えるでしょうか?
ここの『品』の一部を当時クランクとして使っていました。
すなわち、W字型に 「右→左→右」 とご丁寧に3回も連続で切り返すものでした。
普通、クランクと言えば切り返しは 「右→左」 の2回だけですよね。
さらに、コースの向かって右端が丘になっていて、踏切のすぐ手前が坂道発進の場所になっていましたが、このさらに隣の斜面に60°の鋭角ターンをする箇所がありました。ここは平針の難所のひとつとなっていました。
超重量級バイクで鋭角ターンをするのは平地ならまだしも、丘に上って斜面を下りながら行う鋭角ターンは非常におっかないもので、難儀している受検者が多かったです。
この斜面で芝生の上に派手にバイクをコカシてしまうと、どんなにガタイのいい男性でも一人で起こすことはほぼ不可能です。完全に横倒しになってしまうため、エンジンガードは役に立たないのです。
倒れたバイクと奮闘していると、審査員の指示で他の受検者が応援に駆け付け、2~3人がかりでバイクを起こしていました。ギャラリーが冷めた雰囲気で見守っている中、転倒した人はバツの悪い思いをしながら、重たいバイクを汗だくで押して発着点まで戻って来るのでした。
鋭角ターンの当時の写真がないのがとても残念です。
それと、これは特に難しい課題でもありませんが、ウィンカーではなく手信号を出して右左折しなければならない箇所が計2箇所ありました。
しかし、「今の時代に、二輪免許の技能試験で手信号をさせている県がある」 と、国会で愛知県を名指しした議員がいたらしく(出典:当方の友人)、そのせいなのか知りませんが、1986年5月頃までにこの平針名物は廃止されました。時代遅れの産物であり、早かれ遅かれ廃止されるべきものだったのでしょう。
当時この手信号による方向指示(左右各1箇所)は、限定解除のみならず、中型限定や小型限定でも課されていました。
ところで、平針運転免許試験場は昭和40年(1965年)にオープンしました。当時のニュースがユーチューブに載っていました。貴重な映像です。
ところで、平針運転免許試験場は昭和40年(1965年)にオープンしました。当時のニュースがユーチューブに載っていました。貴重な映像です。
これを見ますと、わたしが技能審査を受けた1986年のコースは、1965年にできた当時のものをほぼ踏襲していたようです。
↓↓↓
【下:拡大図】
1986年にスラロームや波状路として使われていた箇所が、1965年当時はまだ作られてなかったようです。
次の【その②】では、具体的にどんな走行コースだったのか、コースの詳細を書いていきたいと思います。
(【その①】は終わり 【その②】に続く)
